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田村裕介 釣りと出来事

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弥三郎婆

「おまんも早く寝んと弥三郎婆に山へ連れてかれる。」
この弥三郎婆とは人喰い婆である。
目に入れても痛くないほどにかわいらしい孫を、愛するがあまりに喰ってしまい、やがては鬼になってしまったという悲しい婆の物語である。
弥三郎婆の物語は、言うことを聴かない子供は凶悪な人食い鬼と化した弥三郎婆により、山へと連れていかれてしまうからいい子にしなさい。
といういわば教訓のような形でこの近辺では使われていた。
大婆はこの恐ろしくも悲しい逸話を話すのがなによりもうまく、私が床につくと、この話を持ち出し持ち出しして私を怖がらせるのである。
私の中の弥三郎婆といえばまさにこの、執拗に意地の悪い、年老いた女であった。
たいそうな年のわりに気位が先んだって、弥三郎婆にこそあったのではないかと思われるような目でいつも私を見た。

山が赤みを帯びだし、風がぎゅうぎゅうと音を立てて草や木をなぎ倒そうとしている。
夏中あんなにやかましかったはずの牛蛙の声にもいくらか蟋蟀の声が混ざっている。
十五夜の祭りが行われるころになると、子供達はずいぶんとそわそわし始め、祭りの準備に赤い頬をますます赤く染まらせて取り掛かり始める。
大人たちは神社に立てる祠の準備のために朝から借り出され、お寺様の縁の下から巨大な木を持ち出して5、6人で担いでは、何度も繰り返し神社まで運んでいくのであった。
この大木というのがゆうに3メートル近くあり、太さも私が手を回しても届かないほどのもので、しかもそれを山のてっぺんにある神社まで持っていくというのだから、これはもう大変な仕事である。
このように大変な仕事は男たちに任せて、子供らは祭りの当日に神社の中心を飾る、七草を山へ取りに行くのだ。
家の裏手にある明神山には、七草のひとつである女郎花(おみなえし)がたくさん生えている場所があり、私たちは毎年そこへ採りに行くことになっていた。
まだ日も十分に昇らないうちに、私たちは何人かでその山へと出かけることにしていた。
山に行くといっても、毎日のようにそこで遊んでいた私たちにとって、それはとかく特別なことではなかった。
ダムを超えて、少し進むと急な斜面が待ち構えている。
もちろんそこには道はなく、草や木が生い茂ったうっそうとした山が、のそりとした生き物のように待ち構えている。
ズボンの裾や、つめの先を泥で汚しながら山の頂上あたりまで登り、とんびが飛んでいるさまなんかをぼんやりと見ていると、ふと眼下になにやら動くものが見えた。
驚いたことに、大婆である。
大婆は年のせいか、ここのところ山に入ることはほとんどなかったはずだった。
しかも、いつもは縮めている腰を、いくらか伸ばしてなにやらあたりを見回すようにしている。
私は面白半分にほかの子供らと、大婆の行動を見守ることにした。
大婆は足腰ばかりでなく、耳もずいぶん悪くなっていたので、子供たちの甘い監視にも気づくわけがなかった。
大婆はひととおり辺りを見回したかと思うと、じんわりとその場に座り込み、なにやらぶつぶつとつぶやき始めた。
やがて小さく縮んだ手をいっぱいに広げると、踊るように空を仰いだりしている。
すると腰の近くの土を掘っては、埋める。掘っては埋める。という行動を繰り返し始めた。
なにか土の中に埋めるような仕草こそしているが、手には何も持ってはいない。
ただ繰り返すだけである。
あいかわらず何かつぶやいている言葉は、じわじわと歌を歌っているようにも聞こえてきた。

その様子はとても奇妙で恐ろしいもののように見え、私たちを怖がらせるには十分だった。
やがて大婆は何かに気づいたように、すっと立ち上がるとそそくさと山を降りていった。

どのくらいの時が経ったのだろうか。
女郎花をすっかり取り終えるころには、村の子供らは口々に、大婆はきちがいか、それとも山ん鬼でねえか。
と噂し始めた。
元からそのような雰囲気のある大婆だったので、そのように言われると私も大婆が弥三郎婆のような気がしてきてならないのだ。

風がますます強さを増し、川の流れる音もいっそう激しい音を立て始めるころ、あたりはもうすっかり霜もおりきって暗闇も深まっていくのだった。
私は家に帰ってきてからも大婆の行動をじっくりと観察していた。
大婆は冬に向けての半纏をさくさくと編んだりなんかしながら、小さく縮んだつま先をじんわりと火燵に伸ばしていた。
電気も赤々と灯ったこのような明るい場所に来ると、大婆はいつもと変わらぬ、親切そうな年老いた女であるようにしか見えない。
晩飯は大婆のついた餅を軽くあぶって食べた。
これがまあ、なんともうまいのだ。

夜もいよいよ更けてきたので、私は大婆といつもより少し早く二階の床の間に入り、のそのそと寝るための準備に取り掛かる。
寒くなってきましたね。私はそんなことを言いながら、押入れを開ける。
この女というのは、几帳面な女で、毎日布団を押入れから出してはたたみ、朝にはちんまりとたたんだ布団をまた押入れにしまう作業を、何十年間も飽きずに繰り返していた。
私も大婆に手を貸してもらいながら、布団を用意し早速もぐりこむと、部屋はいつの間にか、夜の暗闇から夕方のような薄暗い橙色の光の中にあった。
「さて、今日は何話すかやあ。」
老人独特の臭いのする息が私の頬に生暖かくかかる。
大婆は息を潜めて、またあの恐ろしい話をするのだった。

すずめの声が聞こえる。
少し目を開けると曇りガラスの向こうはまだ、ずいぶん青黒いような色をしている。おそらく日も昇っていないようだ。
昨日あまりに早く寝てしまったせいか、それとも祭りの日が近いということもあって気が急いでいたせいか、なんにしろずいぶん早く目を覚ましてしまった。
ふと気づくと、隣にいるはずである大婆の姿が見えない。
布団も敷いたままである。几帳面の大婆にはあってはならぬことだ。
そのとき、かすかに歌っているような音を聞き静かに窓の外を見ると、明神山に続く一本道を人が歩いているのがぼんやりと見えた。

間違えるはずはない。
大婆なのである。
なんだか様子がおかしい。
服装は寝巻きのままだし、やせ細った足はどうやらはだしのようだ。
寝巻きのすそを風にはためかせながら、何かに呼び寄せられているかのように、ゆらゆらと揺れるように歩いている。
その姿は異様以外の何者でもない。
私は急いで布団に入ると、今見たことを夢だと思いたいが為だろうか。
眠りに落ちていくほかなかった。

母親に起こされると、そこには何事もなかったような平穏が待っていた。
しかし、今朝の大婆の行動は夢だとして済まされることではなくなっていた。
私は確かに鬼を見たのだ。
祭りの飾り付けのために集まった村の子供らにそういって話すと、それじゃあまるで弥三郎婆じゃねか。
と口々にこう言うのである。私はこのまま鬼となった大婆に食われてしまうのだろうか。
「大婆が弥三郎婆なら天女になるのね。」突然、お寺様の娘子が言った。
私には何のことだかわからなかった。
大体この女は、田舎もののくせに都会の言葉を使うので、前々から気に入らなかったのだ。
だが話を聞くとお寺様の娘子の言う話は本当らしく、どうやら弥三郎婆の話には続きがあるらしいではないか。
私の大婆の話では一切語られることはなかったのだが、弥三郎婆は自分の孫を食ってしまい、山に入り鬼となってしまうのだが、やがて改心し妙多羅天女という美しい天女になったとされているそうなのだ。
しかも驚いたことに、この弥三郎婆が天女になる話こそがこのあたりに伝わっている話だそうで、そこにいた子供らは皆その話を聞いて頷いた。
私が大婆から聞かされていた話はなぜだか途中でぷつりと切れていたのである。
弥三郎婆の話の続きにこんなにも美しいような、皮肉のような続きが隠されているなんて思いもしなかった。
私はただ、バサバサと髪を振り乱しながら、半狂乱で山にひたすら生きている女の姿を思い描いていたのだ。
しかし大婆はこの続きをわかっていて、あえて私に話さなかったのだろうか。
とにもかくにも、大婆が弥三郎婆のような運命をたどるというなら、私は大婆に食われる以外に道はなさそうである。

しかし、そうはならなかった。
毎年祭りの日は、太陽が昇り始めたころに打ち鳴らす、太鼓のどんどんという陽気な音から始まる。
しかし、その陽気な音が今年は鳴ることはなかった。
大婆は祭りの日の朝早くに、あの明神山で死んでいるのが見つかった。
死んだのは食われるはずの私ではなく、大婆だったのだ。
女は落ち葉に身を隠すようにしてひっそりと死んでいたのである。
後でわかったことだが、大婆は自ら落ち葉を集め、そこに身を埋めて死が訪れるのをひたすらに待っていたというのだ。
自分の死期をわかっていたのだろうか。
それともきちがいになったからこその行動だったのだろうか。
なんにせよ大婆は、自ら山に帰っていったのである。

ああ、私の大婆は鬼になったのだろうか。
それとも天女になったのだろうか。
私もまたふらふらと何かに取り付かれたように道を歩いている。

その先には明神山があるばかりだ。
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by tatsumaki_do | 2007-07-24 15:52 | 出来事
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